ぴ〜教授の華麗な生活 タバコをくゆらしながらゆっくりと回想録
■ 人間味('04/06/13)
18年ぶりに知人にあった。知人とは私が28歳の時に友人とヨーロッパへ遊びに行った時、同じツアー仲間で
現地で初めてあった。帰国後も知人とは年賀状程度のご挨拶のお付き合いをしていた。
ツアーの時彼は38歳。ちょうど私と10歳違いである。彼は今は57歳。
その時彼は一人でこのツアーに参加していた。もちろん結婚もし、子供もいる。家族を日本においての一人旅行。
その話を聞いて、直感的に「この人のように生きれたらいいなあ、生きよう」と思った。
その人に会いに行ったのである。
久しぶりだった。ほんとになつかしい。「変わってないなあ」といわれた。しかし、彼は少し歳をとった感がある。
やはり18年は大きな空白である。お互いいろんなことがあった。あの時小さかった彼の息子は、いまや25歳
日本の最高学府の大学のドクターコースを修練中。次の日本を背負う優秀な博士となるであろう。
彼の記憶はなかなか薄れない。18年前のいろんな事象の記憶を物語のごとく思い出して語ってくれる。
「えぇ、そんなことありましたっけ?よく覚えてますねぇ」と私はほとんど忘れている。
この聡明さと気取らない雰囲気それでいて物事の本質を見抜いている実体はなんなのだろうか!
彼はいわゆる団塊の世代、あの有名な安田講堂での立て篭もり事件のとき、その当事者としてその渦中にいた
経験もつんでいる。団塊の世代が爆発した、主張をだしたあの時の歴史に彼は絡んでいるのである。
ある意味こういうものにも憧れがある。
「あの事件はいったいなんだったんですかね?」
「あの事件の時、誰が中に残り、誰が外に出て行くか、中で決めていたんだよ。俺は外に出たけどね。」
「三島由紀夫が一言でうまくいってるよ。あの事件は、『団塊の世代の軋み』だって」
「確かにそうだよな〜。うまくいっている」 なるほど〜(意味はわからない)
「昨今のインターネットの情報革命はすごいよなあやっぱ。」
「音信不通の友人でも探し出せるしな。探し出された友人は迷惑かもしれないけど
この前も一番仲良しの友人と連絡が取れなくなって35年ぐらい経つんだけど、インターネットで
偶々消息がわかって連絡したら、『よく探し出してくれた』って泣いてたよ。でも事情があって
会ってないけどね。なんかがあるんだろうなあ。」
こんな普段の会話を押し付けるわけでもなく、スッ〜〜と経過していくことに、私は安心感をもちながら
2時間ほどなつかしさを前面にだし語りつくした。うれしかった。
こんな人間味が好きでたまらない。
また、来東京した時や、来大阪した時は会おうと約束して別れた。
彼と次に会うのはいつだろうか?お互いに元気で会いたいものだ。時間がいやおうなしに経過していく。