伊勢講

[信仰的講7]民族信仰に基づく講をあげてきたのだが、これらを特定の神霊を
意識した講だとすれば、庚申講や十九夜講・二十三夜講は特定の日時を意識した講
といえる。庚申講は干支の庚申(かのえさる)の日に身を清めて集まり、掛け軸を拝して
般若心経を唱えてから、世間話などをして夜を徹する講である。各地に「話は庚申の晩に」
という語が残っているほどである。十九夜講も二十三夜講も月待ちの1種であるが、
現在は女性を中心とした講になっている。庚申講にしても月待ちの講にしても、もとは
御籠りを目的とした講というが、この種のものはしだいに家ごとの祭りになりつつある。
(小学館 大百科事典より)     (つづく)


伊勢講物語9

(2000/12/23)

最初に訪れる男の厄。それは数え年の42歳。数え年というのは、新年を迎えると同時に
1つ年を加算する数え方であり、生まれた時を1歳として数える、仏教の数え方である。よって、
満41歳になる年が数えの42歳である。誕生日が来るまでは、満40歳で迎える新年が
厄年となる。42歳の前年を前厄、後ろを後厄という。満で言えば39歳から41歳で迎える
年となる。当然伊勢講連中はこの3年間はこの行事に専念する。
1月7日に前厄、本厄・後厄の連中が、村の鎮守さんに集まり、甘酒を炊くのである。
前日に準備のため、集合し、鍋を洗い、炊く準備をしておく。甘酒のための麹を仕込む。
これが、中途半端な量ではない。なんせ、村中の人がこの甘酒をもらいにくるわけで
あるから。レシピは先輩の連中からの申し送りで、引き継がれ伝統的な味が、伝承される。

当日、朝4時くらいに集合し、炊き始めるおよそ3時間、こげつかないように
甘味を出すように交替で炊きつづける、一時も目を離せない。そして、7時、有線放送で
村中に甘酒ができたことを知らされ、じいちゃん、ばあちゃんが中心となって、神社にこれを
目当てに集まってくるのである。

これで、我々の厄がさっていくという訳である。我々は、2学年が集まっているから4年間
この行事をつづけたことになる。もちろん、みんな勤めているから、仕事を休んでまでも
するわけである。この結束と行事はすごい。次は、数えの60歳(還暦)時にあるらしい。
                                                 (つづく)
2016年1月に還暦の厄払いをした時、42歳の時に奉納した金銭で、おみやさんの
外壁を修復した石物がありました。この時まで知りませんでした。永久に残りますね。