伊勢講

[信仰的講6]特定の御利益を目的としたものに、子安講や観音講や地蔵講、さらには念仏講
などがある。これらはその目的が限られているので、講員もおのずと限定されることになり、
村落内でも婦人層で構成されている。しかも、子安講は若年層、念仏講は老年層というように
年齢によって支持される講が限定される講が異なることもある。子どもによって営まれる天神講
などは顕著である。正月の25日に年長の子どもの家を宿にして集まり、習字などをしたあとで
五目飯をこしらえて食べ合う。天神様が学問の神様ということから子どもと結びついたものだろう
が、房総あたりでは男天神・女天神として性別によっているものまである。
(小学館 大百科事典より)     (つづく)


伊勢講物語8

(2000/11/10)

田舎では、祭りは重要なファクターであると思う。田舎と言うのは、大体が農村地帯の
流れをくんでいるから、収穫祭を祝う祭りが伝統的に残っている。岸和田市のだんじり祭りも
もとは、収穫祭である。我々の田舎でも、祭りがある。岸和田市おなじだんじり祭りである。
岸和田市と同じ位の観衆は現れないが、だんじりを引く引き手、担ぎ手、屋根の上の踊り
太鼓、金はよく似たもんである。
町としても、役場はこの日、休みとなる。御祭り休暇だそうだ。
(役場に勤めてる、我が伊勢講連中がいるから、役場情報は裏までよくわかる)


各大字所有のだんじりが本山の神社に集まってくる、酒を浴びるほど飲んで、勢いづいている
若い衆がぶつかるのである。当然、喧嘩する、怪我する、最悪は入院もする。
これを中心になって、ひっぱってるのが、その時代時代の青年団であり、構成員は、伊勢講
連中なのである。私も、担ぎ手として参加したが、だんじりの下敷きになって、死ぬかもしれない
と思ったほどの、激しさであった。’おい’、’われ’と呼び合う男たちの世界である。
絆は、ますます深くなる。
                                                   (つづく)