伊勢講
[信仰的講2] 熊野三山では平安時代の末期には御師(おし)の活躍があった。参詣の
際に特定の僧の宿坊に泊まって祈祷を依頼する程のものだが、その御祈祷師を略して
御師と呼ぶようになり、各地の信者と師檀関係をもつようになったのである。後に、伊勢、賀茂
八坂、北野神社などでも御師制度が取り入れられた。彼らの主任務は宿泊の手配や御礼の
頒布だが、全国各地に代参講を結成させる原動力となった点は見逃せない。
伊勢講はそのもっとも典型的なものといえる。 (小学館 大百科事典より) (つづく)
伊勢講物語4
(2000/7/16)
一般に20代は、女性にあこがれ、盲目に突き進み、最後に結婚というピリオドを打つ
時代である。我ら連中、23歳がTOPであった。結婚すると、【顔見世】なる行事をする。
歌舞伎の顔見世興行みたいなもんである。要は、連中に自分のWIFEを紹介し、どうぞ
よろしくお願いしますというわけである。(WIFEは正式には、着物を着る)
この顔見世23歳のJ.Y君が最初であったわけであるが、あろうことかこれが最初で、以後
彼はこの連中から姿を消した。突然消えたわけではないんだが、次男であったこともあり、
別の場所に引っ越したのである。そのきっかけがこの宴席上であったかどうかは、
ふれないことにしておく。今は昔のことである。
やがて、また1人、2人と結婚し、順調に顔見世興行も消化していった。
おかげで、我が連中みんなWIFEの顔はしっている(しっているはずである、名前までは
覚えていないが)。顔は、(^O^)、)^o^(、(@_@)であった。
連中顔負けの強いWIFEが、たくさん出現。おとこ内でがんばっていても、家にかえると
頭があがらない。そんな日ごろのストレス発散の場として、この伊勢講があるのかもしれない。
少なくとも、私にとってはいごこちのいい安住の場となっている。(つづく)