伊勢講
[信仰的講] 同じ信仰をもつ者が結成している”講”で、寺社信仰に基づいた講と、
伝統的な民族信仰を基盤とした、講とに分けることができる。
前者は宗派や寺院、神社側が自らの教団を拡張するために組織した場合に多くみられ、
信者の獲得や結束をその目的としている。浄土真宗の報恩講や日蓮宗の法華講など
がこれにあたる。
仏教諸宗のなかでも特に中世以降すさまじい勢いで、一般民衆に浸透していった、いわゆる
庶民仏教に特徴的にみられた組織づくりの手段であった。名刹を対象とする永平寺講、
善光寺講、成田講などのようなものもある。(小学館 大百科事典より) (つづく)
伊勢講物語3
(2000/7/11)
高校、大学、成人、就職と波瀾にみちた時代である。1972年から1978年頃までの6年間
だれにでも語り尽くせぬ思い出がある。恋人探しに奔走し、男になることにあこがれ、また
それを自慢し、大学に進学するやつは、死に物狂いで勉強し、大学でまたあそびまくった。
そんな、よき時代である。そして就職。こんな時代で、青春を謳歌していたさなかでも、
伊勢講は存続した。各人が就職し、経済的に親から独立したのをきっかけに、独自の道を
模索しはじめた。
だれかが、提案した(”とっしょ”だろうか、”ひこっさん”だろうか)
伊勢講やからそろそろ”お伊勢参り”に行こうか!「そやな!一度はいかなあかんな!」
こうして、おれたちの伊勢講第1回ツアーがスタートしたのである。1978年22歳、21歳の
血気盛んな時代である。(このツアー今でも続いており、今年はとうとう韓国へいきました)
やっと、伊勢へとつながりがでてきた。
鳥羽泊、スナック(田舎のすごいスナックです)であそび(あそびの内容はあのねふふふコーナーにて)、
小心な私は、恥ずかしくて、恥ずかしくて。
あさかやまから内宮から外宮へ歩いて団体道中、片手にうなぎ弁当たずさえて。
伊勢神宮に駅から歩いてつきました、各自なにを願ったのでしょう?こいつらの心はおみ通し。
やっと伊勢にきました。満願成就。うれしや、うれしや。
それから2、3年伊勢方面へ立て続けに旅は続き、年に1回本音をぶつけ合っていた。
こいつらを兄弟にもててうれしい、敵でなくてよかった。(つづく)