伊勢講
【講】学術的に調べてみました。講には深いものがありますな。
地域社会をおもな母体として、信仰、経済、職業上の目的を達成するために結ばれた
集団。構成員を講中とか講員という。本来は、仏典を講説するための僧尼の会合や
その団体を意味していた。現在でもそうした仏教関係の講は行われているが、講の内容は
非常に多様化している。それらを大別すると、(1)信仰的講、(2)経済的講、(3)職業的講
になる。(小学館 大百科事典より) (つづく)
伊勢講物語2
(2000/6/24)
中学に突入、このころの中学はいじめもなければ、構内暴力なんてものもない。まだ、先生が
威厳をもって、生徒を導いていらした。そんな時代、だんだんとみんなも、クラブ活動や、塾通い
(塾といっても、今のように受験戦争に勝つためのものではなく、単なる勉強塾のようなもの)
に忙しくなり、この連中で遊ぶということも少なくなってきた。
しかし、年2回の集まりには、必ず宿の家に集まり、結束を深める訳である。
この頃はもう昼間に集まるのではなく、夜ノミの集まりであり、何をして時間を過ごしてきたのかは
思い出せない。たぶん、トランプや花札、人生ゲームなんかで時間を過ごしたんであろう。
人生ゲームは、この頃、大フィーバのゲームで、我々はゲームの額を変え遊んでいた。
ほかほかとした時代である。
成長するにつれ、色事の話、あいつとあいつはできている、先生の悪口
などボツボツとでてくる。こんな時を乗り越え、青春まっただなかの、高校時代へと突入する。
まだ、伊勢とは無関係である。(つづく)