伊勢講
”昔のあそび”をやりながら、”ガキのくいもん”を食べ尽くし、お互いに切磋琢磨してきた連中が、
【講】という超古風な連帯意識をはぐぐみながら、ガッチリと生き抜いてきました。
いまや、彼らも40才を超え、一家の大黒柱として、家を守っております。
【講】とは、日本で、神仏に参詣するために組織する団体。伊勢講、富士講,出羽三山講
などは、超有名です。
・親父の世代、おじいさんの世代もっと以前の世代から永遠と続いているようです。
お伊勢さんへの代参を目的としていました。(つづく)
伊勢講物語はじまりはじまり〜
(2000/6/17)
今は、昔、30数年前、俺らは、組織された。自分らの意志は一つもなく、親の意志のみである。
記憶では、6歳ぐらいであったかな。
人数は当初9人。I,I,M,F,M,Y,Y,H,D。
昭和31年、32年生れの、男の連中である。これが伊勢講連中である。
幼稚園の時代やな。この幼稚園、この時代にあって、何を間違ったか、キリスト教の幼稚園で
あった。(ちなみに今でも存続してますが)
この頃の幼な心に形成された、団結力が今までもひきずられていることが、恐ろしい。
メンバーの中のF君、この頃より、なにかと頼りにされており、今でも変わっていない。
1種のカリスマ性をもっていると、私は観ている。体格もおおきかったせいもあるが、
なんせ親分肌やね。この頃は、みんなでなんかをするというよりも、春分の日と秋分の日に
年2回お互いの家を、順番に遊びに行き、昼はカレーライス、夜は折詰めをごちそうになる。
このごちそうになることを”こと”と呼んだ。
どんな字を書くのかくのかよく分からないが、”なにか事があるの事”ではないかと思う。
やがて、小学校に通い出す。当然みんな集まって、集団登校である。ますます、連帯意識は強化
される。上の学年も、下の学年もみんな年代別に伊勢講連中を組んでいるわけである。
よくよく考えれば、他の大字のみんなも伊勢講連中を組んでいる。なんか、異様な世界ではある。
小学校3年頃T,小学校5年頃Fの従弟の同じくFが加わった。これで11人。
I,I,M,F,M,Y,Y,H,D,T,F。
小学校も高学年と成ると夜は、すき焼きに変わった。田舎のことで、うれしい思いである。
日中何をしているか、昔のあそびをしまくる。足は骨折、手は脱臼、捻挫は当たり前、
すりきずいっぱいケガをしては、よく泣く(まぁ、これは俺が多かったが)。
隣村の連中と戦争をする。爆竹(2Bといった)、投げ玉を使う。投げ玉は投げるのではなく、
ゴムパチンコで、狙いを定め、撃つのである。これまた、危険極まりなく顔面で破裂しそうものなら、
えらいこっちゃである。
この私がなにを隠そう顔面で破裂した。
ここで使った2B、爆竹いつまで(破裂する手前まで)、持ちこたえるかを競った。最後まで、
持ってやけどに近いとこまでいったもんもいたな。
今のところまだ、伊勢とは無縁の世界である。
さぁ、ここで伊勢講連中をニックネームで呼んでみよう。
”けいちゃん”、”とっしょ”、”かずひろ”、”かべ”、”ひこっさん”、”まめ”、
”かーみちゃん”、”とっちき”、”じゅんごろ”、”のっころ”、”としひこ”の11人である。
ネックネームからして、リーダー格が誰かわかりますか?1人だけ”さん”づけがいるでしょ。
(つづく)